ペインティングギフト日記voice

    2021.06.12

どこに行っても ここにある俺は今この絵を見て分かる通り、ど田舎の中のど田舎に住んでる。

高校生3年生で来年の春には、東京で働く。

なんでかというと、今住んでる場所がど田舎すぎるからだ。

もう18年間ここにすみ続けてきて、何百回もみた近所のローソン、毎朝玄関を掃除している隣のおっちゃん、近くのラーメン屋まで、30分かかる自宅にはもうもう飽き飽きだ。

バスだって最寄りの駅だって、どう考えても最寄りの駅とは言えない距離だし、車持ってない人は、ケッタに乗って移動しかない。

今のご時世ここまで田舎なのも珍しいけど、それに伴い年寄りが多い。

俺が小さい時は、周りは大人だらけだったのに、大人に近づくにつれ、じいちゃんばあちゃんが増えて行ったのは、あまり人が入れ替わってないんだろうな。

段々若い奴がいなくなっていくんだろうなぁと感じる。

それで東京に行くもう一つの理由は、クラスのマドンナ芳子ちゃんが東京に行くって聞いたからだ。

なにせ東京のモデル事務所にスカウトされたんだって。流石芳子ちゃん。 そんな子ともしかしたら、、、、を考えて同じ東京のイベント会社に就職する(予定)

 

思い出も時間も絵画に「東京に持っていきたい。」

そんな話は一旦置いといて、俺の地元には何もない中で、唯一あるものは連れだ。

地元には小学校から高校まで変わらないメンツで過ごしてきて、時間で言うところの13年くらい一緒にバカやってきた。

この辺で遊ぶのだって、映画館やレジャースポットがあるわけでもなく、ただコンビニにたむろったり、川遊びや、ここのブログじゃあ言えないことだってしてきた。

今でも鮮明に覚えているのが、夏の夜の学校に忍び込んで、プールに入ったり、校舎でケイドロしたりしたのがバレて、先生に夜中追いかけ回されたことが鮮明に覚えている。

俺にとって地元の連れはもう一つの家族の様な存在だ。

そんな連れたちと、高校卒業後、別々の道を行く。

大学に入るやつや、地元で就職するやつ、東京に働きに行くやつだっている。

みんなと離れ離れになるのは少し寂しいけど、一足先に東京デビューしてくるな。とか言ってみたり。

本当はいつまでもバカやってたいんだけどな。。

もうすぐ卒業が近くなってきた頃、親父は、地元が一望できる写真を絵にしてリビングに飾ってある。

親父がなんでこの絵なのか、もっといい景色があるだろ、、と聞いてみると、「この絵には、思い出も時間もつまっててな、何気ないあの日の日常をずーーと忘れたくないんだよ。」と答えた。

親父もこの地元出身で、ここで長い間育ってきた。

この場所だからこそ、感じられるものがずっと親父にはあるんだと思った。

俺ここで過ごした思い出を忘れたくない。そう思った。

「親父。俺も描いてもらいたい。東京に持っていきたい。」と言うと親父は、携帯を片手に、このサイトを教えてくれた。

2021.05.28

石川県金沢市にある金沢21世紀美術館での写真を絵画にしてもらいました。

兄弟の写真です。

金沢へは北陸新幹線が開通した年に一泊二日の家族旅行で行きました。

目的はご当地の食事と美術鑑賞でした。

到着してすぐに金沢の食文化を支える『市民の台所』として親しまれている近江町市場へ向かいました。

狭い小路には約170の店が並び、新鮮な海の幸や地元産の野菜や果物などが豊富に揃っていて、常にたくさんの観光客で賑わっていました。

日本海で獲れた魚介を使った名物の海鮮丼は「ネタが大きくて、美味しい!」と子供達も喜んでいました。

地元の食材を使ったご当地グルメを食べながら、家族との会話を楽しむのも旅行の醍醐味です。

その後は金沢の街を散策しながらホテルでチェックインしました。

次の日はもうひとつの目的でもある現代美術館へ。

特に、レアンドロ・エルリッヒ作の《スイミング・プール》(通称:レアンドロのプール)は見逃せません。

プールを介して地上と地下で人と人が出会うことができる話題の作品です。

館内では感性を刺激する展示物をたくさん鑑賞できます。

魅力的なミュージアムショップ、レストランも併設しているので、旅の計画の際には時間を長めにとってゆっくりと滞在する予定でした。

到着してみると地上1階、地下1階建ての建物は、芝生の敷地の中央に、円形の総ガラス張りとして建てられ、全てが正面に見えるという不思議な構造にびっくり。

建木陰に座っておしゃべりを楽しんだり、横になって休んでいる人もいて、自由にくつろいでいます。

屋外エリアには所々に地中から飛び出したラッパのような作品があります。

『アリーナのための クランクフェルト・ ナンバー3』という作品です。

ラッパ状のこの作品は芝生上に12個点在していて、管が地中を通して作品を2組ずつつないでいます。

一方で発した音や声が管を伝わってもう一方から聞こえるという、糸電話を連想させるアート作品です。

ひとりでも楽しめますが、ふたり以上だとより楽めるそうです。

息子二人はとてもこの作品が気に入りました。

どんな会話をしていたのかはわかりませんが、芝生に座って二人を眺めている時、なんとも言えない気持ちになりました。

息子たちが成長していく喜びと寂しさが同時に湧き上がってきました。

気がつくと携帯で写真を撮っていました。

写っていたのは何気ない写真でしたが、油絵にすると特別な時間を閉じ込めたような素敵なモノになった気がしました。

この油絵は私たち家族の一員になりました。

家族にとって良い時も辛い時もこの油絵が私たちに寄り添ってくれるはずです。

2021.05.14

「やっとだよ、ようやく来週オープンするんだ」

電話で友人の嬉しそうな声を聞いた時、自分もついテンションが上がって

「おめでとう!本当に夢が叶うんだな、いや、すごいな…!」と叫んだのを覚えている。

専門学校のとき、たまたま苗字が同じで席が近かったことがきっかけだった。

初めはただそれだけで。

でもなんとなく一緒に授業を受けて、お昼ご飯を食べて、帰りに寂れたゲーセンに寄ったり、ファミレスでダラダラしたり…

美容師になりたいって自分で選んだ道なのに、授業は死ぬほど嫌いで、二人でふざけては先生に怒られて。

のくせにクラブに遊びに行ってベロベロに酔ったら「絶対に開業して、すげー稼いで、お前よりすごい美容師になるからよ、見とけよ!」って大声で叫びあってた。

お互いに張り合って、学校の成績は見合って、お前だけには負けねえって何だかんだ毎日休まず学校に通い続ける。

そんな10年以上も前の思い出が鮮明に蘇ってくる。

あのときもう少し真面目に勉強してたら、あいつみたいにセンスがあれば、自分だって美容師を続けられていたのだろうか。

学校を卒業して、なんとか就職できた美容室ではアシスタントとして先輩にこき使われ、ひたすら罵倒された。

自分が悪かったってことは分かってる、未熟だったことも分かってた、けどプライドが邪魔をして、なんだ美容師ってつまんねー仕事だな、って拗ねて1年くらいで辞めてしまった。

その夜、一応あいつに報告しないとって思って「俺、辞めちゃったよ、美容室。どうしようもねえよ。明日から近所のスーパーでレジ打ちでもしようかな…」って電話をしたら

「ハハ、まじか、いや、つれーよ、身も心もズタボロ。俺も辞めちゃうかも。」って一言。

でもその後も辞めることなんかなくて、あいつは寝る間も惜しんでカットの練習し続けた。

本当に尊敬する。

その努力がついに店として形になることは、もちろん自分ごとのように嬉しい。

その後、レジ打ちではなくハローワークに紹介してもらった営業の仕事をこなし、なんとなく普通の人生を歩んできた自分。

学生のときからの夢を追いかけ続け、ひたすらストイックに働いて、とうとうその夢を叶える日が近づいてきているあいつ。

別にどっちが良いとか、羨ましいとかはない。

ただ、せっかく友人の夢が叶うのなら全力で祝いたいし、特別なものを用意したい。

あいつにとって、店は特別で、その店はこれからずっと存在し続けるだろうけど…

「初めて開店する日」は1日しかない。

そう考えたら、その日の店の様子をしっかり残しておきたいと思って。

花を渡したいから、と言い訳してオープン直前にお邪魔して、何気なく写真をパシャリ。

それを絵画にして後日改めてお祝いとして、渡しにいった。

「絵なんて渡されたことないからさ、いや、びっくりだよ。すげー嬉しい。うん、大事にする、ありがと。」

そうやって笑う姿を見たら、喜んでもらえるものを渡せて良かったな…って安心して、俺も頑張ろうって気合が入る。

開業おめでとう、これからもお互い励まし合える存在として、よろしくな。

2021.04.28

いつ見てもいい写真だなと思える。

そんな彼女に出会った話をさせてください。

出会いは25の夏。

当時働いていた会社で、今日が何曜日か、朝か夜かも分からないくらい働き詰めてた時期がありました。

夜(朝)仕事が終わり、家に帰ったと思えば、映画一本見終わるくらいにはまた出社の時間が来る。

今思えば、何をそんなに働いていたのでしょうか。夢はお金持ちになる事でした。

ストレスを発散できる時間はタバコを吸ってる時の時間くらいでした。

そんなほぼ働き詰めの20代は、当時の景気とは反対に、毎日ギリギリの生活で、食べるものも不規則な時間になり

心と体は常に限界ギリギリでした。

当然、恋人なんかはいるわけもなく18の時に付き合って3ヶ月で散った女の子以来の話。

恋人できない理由を仕事のせいにして、張り切っていたのがいい思い出です。

そんな時今の嫁と出会いました。

場所:居酒屋 関係性:友達の友達

話している中で、彼女の明るく優しい性格や、自分には持っていない、人のために何かをするという考えに惹かれました。

しかし、その当時の自分は、たくさん働いているのがかっこいいとか、意気揚々と話していたんでしょうね。

すぐには付き合えませんでした。

自分にできることは、特に容姿が優れているわけではないので、どんな遅い時間でも会いにいき、話して笑わせました。

出会って1年、必死にアピールしなんとか付き合う事ができました。

もちろん付き合って、上手いことばかりではなく、様々な体験をし、喧嘩もし、何度別れそうになったことでしょうか、、

しかし自分を本気で叱ってくれ、思自分を思ってくれる彼女と出会い、お金を稼ぐために働いていた、自分の考え方が変わりました。

結婚をし、子供も生まれ、今まで自分のために働いていた思いが段々彼女や家族のために働く喜びへと変わっていきました。

それに気づかせてくれたのが彼女です。今でも、特に取り柄がない自分のどこを好きになったかと聞くと、

「あなたは私をいつも笑わせてくれるし、ずっと優しいから」と言ってくれます。

こちらこそたくさん様々な事をくれてありがとう

今では、お互いおじいちゃんとおばあちゃんになり昔みたいにお互い元気ではなくなってしまったけど、仲良く毎日を過ごしています。

そんな彼女との思い出を絵画にして部屋に飾っています。

毎日この絵を見て、出会ったときの気持ちをいつまでも忘れない様に。

2021.04.16

私が幼いときから両親は共働きで、夏休みになるとよく母に祖母の家へ連れてかれました。

お泊まりになることも多く、祖母の家で大人しく絵を描いたりパズルで遊んだり、本を読んだり…

元々1人遊びが好きで私自身は毎日楽しく過ごしていたのですが、そんな私を一日中見ていた祖母は退屈そうだと思ったのかもしれません。

生まれて初めての水族館は祖母と2人で。せっかくの夏休みなんだから、と祖母の提案で出かけることになりました。車で外へ連れて行ってもらうこと自体が久しぶりで、少しワクワクしていたことを今でも覚えています。

2人で行った水族館はとても静かでした。魚たちはこちらの視線も気にせず悠然と泳いでいて、私は目の前の水槽に吸い込まれるかのように近づいていきました。

どの水槽も私にとっては初めての世界が広がっていて、顔を近づけては祖母に魚の名前を聞いたり、好きな色の魚を探したり、とにかく楽しみながら水族館内を進みます。

ある程度館内をまわっていくと、満足感と共に疲労を少し感じ始め、「そろそろレストランで昼食を食べようか。」と祖母が尋ねてきたそのとき、

「あ、亀だ!」

私は無意識に走り出していました。さっきまでの疲れも祖母との会話も忘れて、一目散に。

そこにはカラフルな魚たちで彩られたとても大きな水槽、その中を優雅に泳ぐウミガメ。

「うわあ…竜宮城みたい…!」と踵を持ち上げながらじっくり眺めていると、「本当に綺麗だねえ…」と後ろから祖母も近づいてきました。

それから会話もなく、ただ2人でじっとその場に立っているだけ。でもなんだかそれがとても幸せでした。

それ以降、私は何かで悩んだり気が沈んでいたり、1人になりたいと思った時はその水槽を訪れることにしました。

有限の水槽の奥に感じられる無限の海と、自由。学生のときも自分自身が分からなくなったら訪れて、落ち着くまで水槽を前に立ち尽くしていました。

それからだいぶ月日が経ち、仕事の関係で生まれ育ったこの地から離れると決まった日、やはり思い出されるあの水槽。

「あの水槽とももうお別れか…」と思うとなんだか寂しくて、今度は私から祖母を水族館へ誘いました。

今度は電車に揺られて水族館へ。水族館は相変わらず静かで、魚もウミガメもゆったりと泳ぎます。

2人で再び水槽を見上げると、何も変わらないその空間に安心しながらも、もう二度と見れないのかな…なんて、気がつくとそっと水槽の中を撮影していました。

その写真は絵画として今、私の部屋に飾ってあります。

新しい生活が始まる不安から、懐かしい光景が、この絵画がきっと私を守ってくれる。

ウミガメと共に、これからの人生も頑張っていこうと思います。

2021.04.02

この絵は引っ越しの日の写真を油絵にしてもらったものです。

この子達はわたしが大学生のときに学校に迷い込んできたので預かることになりました。

子供の頃から野良犬や野良猫を拾ってしまうくせがあり、またやってしまったと少しの後悔がありましたが

この子たちとの生活のおかげで、いろんな方が遊びに来てくれて部屋はいつも賑やか。

人見知りだったわたしにとって、この子達は家族のような存在で、4年間楽しい学生生活がおくれました。

学校のちかくで古い借家にくらしていたおかげで大家さんにもご理解していただきました。

風呂なし汲取式トイレ・・・女子が住むにはなかなかのハードルでしたが、ゆっくりとこの子たちとの時間をすごしました。

楽しかった学校も卒業し就職、そして街中への引っ越し。わたしにとってもこの子達にとっても目まぐるしく環境がかわることになります。

環境になれるまでは大変だったと思いますが、いまとなっては懐かしい思い出です。

若かったあの頃の大切な日常の思い出を形にのこせてよかったです。

2021.03.22

ぼくがまだ幼い頃だったからあまり覚えていないけど、父が家にいる記憶がなく、家にいるのは祖母と母と妹、そしてぼく。

女3に男1。。まさに女系の家で育ちました。父は家の設計の仕事をしていて、遅くに帰ってきて朝早くでかけていきます。

家ではいつも疲れて不機嫌。今に唯一あったテレビのチャンネル権も父のものでした。

仕事は小さな設計会社の番頭さんといった立場だったみたいで、夜でも平気で社長から電話がかかってくるとペコペコお辞儀をしながら話をしている事がおおくて、夜に急遽呼び出されることもしばしば。

深夜家に戻ってきたら泥酔状態で祖母や母はあきれて玄関で放置されたまま朝になるという。。

家の設計士なのに自分の人生設計はまったくできないといった人でした。

中学になり人並みに自分も反抗期を迎えた頃はもう父との会話もなくなんとなく話しづらい距離を感じていました。

その後ぼくが大人になるまできちんと話すことはなかったのですが、入学式にもらったの製図用の鉛筆はいまでも大事に持っています。

母から聞いたのですが、父が仕事で使っていた鉛筆と同じものらしくこれ1本でたくさんの家が生まれたと思うと仕事しかしてこなかった父が少し誇らしげに感じます。

いまでは身体を壊し家にこもりがちの父です、仕事のことで喋る機会もふえました。ゆっくりと休んでほしいと思っています。

ぼくは、父のような中小企業とは違い、大きな組織で営業をしています。

営業という職業はものを作ることはしませんが生身の人を相手にするとてもやりがいのある仕事だと父に話しています。

仕事でも趣味でもなにかに夢中になれることが見つかると人生は豊かになれるのではないかと思います。

ひとり息子は今年七五三で男らしい写真を写真館で撮っていただきました。

時代錯誤な格好ですが、この息子をぼくはとても気に入っています。

油絵にすることでより凛々しくぼくの部屋に大切に飾ってあります。

この絵を見るたびに思うことは、ぼくも父も男らしい生き方に憧れて来ました。

親のエゴだとは思いますが、心に1本の芯の通っている自分に正直な人間になってほしい、いっぱい転んで泥まみれでキズだらけになっても、やりたいことを見つけてほしいとおもいます。

なにがあっても父であるぼくが必ず味方になります。

七五三おめでとう、これからの君が最高の人生を送ることを願います。

 

ペインティングギフト日記voice

 2021.02.28    

どこに行っても ここにある俺は今この絵を見て分かる通り、ど田舎の中のど田舎に住んでる。

高校生3年生で来年の春には、東京で働く。

なんでかというと、今住んでる場所がど田舎すぎるからだ。

もう18年間ここにすみ続けてきて、何百回もみた近所のローソン、毎朝玄関を掃除している隣のおっちゃん、近くのラーメン屋まで、30分かかる自宅にはもうもう飽き飽きだ。

バスだって最寄りの駅だって、どう考えても最寄りの駅とは言えない距離だし、車持ってない人は、ケッタに乗って移動しかない。

今のご時世ここまで田舎なのも珍しいけど、それに伴い年寄りが多い。

俺が小さい時は、周りは大人だらけだったのに、大人に近づくにつれ、じいちゃんばあちゃんが増えて行ったのは、あまり人が入れ替わってないんだろうな。

段々若い奴がいなくなっていくんだろうなぁと感じる。

それで東京に行くもう一つの理由は、クラスのマドンナ芳子ちゃんが東京に行くって聞いたからだ。

なにせ東京のモデル事務所にスカウトされたんだって。流石芳子ちゃん。 そんな子ともしかしたら、、、、を考えて同じ東京のイベント会社に就職する(予定)

 

思い出も時間も絵画に「東京に持っていきたい。」

そんな話は一旦置いといて、俺の地元には何もない中で、唯一あるものは連れだ。

地元には小学校から高校まで変わらないメンツで過ごしてきて、時間で言うところの13年くらい一緒にバカやってきた。

この辺で遊ぶのだって、映画館やレジャースポットがあるわけでもなく、ただコンビニにたむろったり、川遊びや、ここのブログじゃあ言えないことだってしてきた。

今でも鮮明に覚えているのが、夏の夜の学校に忍び込んで、プールに入ったり、校舎でケイドロしたりしたのがバレて、先生に夜中追いかけ回されたことが鮮明に覚えている。

俺にとって地元の連れはもう一つの家族の様な存在だ。

そんな連れたちと、高校卒業後、別々の道を行く。

大学に入るやつや、地元で就職するやつ、東京に働きに行くやつだっている。

みんなと離れ離れになるのは少し寂しいけど、一足先に東京デビューしてくるな。とか言ってみたり。

本当はいつまでもバカやってたいんだけどな。。

もうすぐ卒業が近くなってきた頃、親父は、地元が一望できる写真を絵にしてリビングに飾ってある。

親父がなんでこの絵なのか、もっといい景色があるだろ、、と聞いてみると、「この絵には、思い出も時間もつまっててな、何気ないあの日の日常をずーーと忘れたくないんだよ。」と答えた。

親父もこの地元出身で、ここで長い間育ってきた。

この場所だからこそ、感じられるものがずっと親父にはあるんだと思った。

俺ここで過ごした思い出を忘れたくない。そう思った。

「親父。俺も描いてもらいたい。東京に持っていきたい。」と言うと親父は、携帯を片手に、このサイトを教えてくれた。

石川県金沢市にある金沢21世紀美術館での写真を絵画にしてもらいました。

兄弟の写真です。

金沢へは北陸新幹線が開通した年に一泊二日の家族旅行で行きました。

目的はご当地の食事と美術鑑賞でした。

到着してすぐに金沢の食文化を支える『市民の台所』として親しまれている近江町市場へ向かいました。

狭い小路には約170の店が並び、新鮮な海の幸や地元産の野菜や果物などが豊富に揃っていて、常にたくさんの観光客で賑わっていました。

日本海で獲れた魚介を使った名物の海鮮丼は「ネタが大きくて、美味しい!」と子供達も喜んでいました。

地元の食材を使ったご当地グルメを食べながら、家族との会話を楽しむのも旅行の醍醐味です。

その後は金沢の街を散策しながらホテルでチェックインしました。

次の日はもうひとつの目的でもある現代美術館へ。

特に、レアンドロ・エルリッヒ作の《スイミング・プール》(通称:レアンドロのプール)は見逃せません。

プールを介して地上と地下で人と人が出会うことができる話題の作品です。

館内では感性を刺激する展示物をたくさん鑑賞できます。

魅力的なミュージアムショップ、レストランも併設しているので、旅の計画の際には時間を長めにとってゆっくりと滞在する予定でした。

到着してみると地上1階、地下1階建ての建物は、芝生の敷地の中央に、円形の総ガラス張りとして建てられ、全てが正面に見えるという不思議な構造にびっくり。

建木陰に座っておしゃべりを楽しんだり、横になって休んでいる人もいて、自由にくつろいでいます。

屋外エリアには所々に地中から飛び出したラッパのような作品があります。

『アリーナのための クランクフェルト・ ナンバー3』という作品です。

ラッパ状のこの作品は芝生上に12個点在していて、管が地中を通して作品を2組ずつつないでいます。

一方で発した音や声が管を伝わってもう一方から聞こえるという、糸電話を連想させるアート作品です。

ひとりでも楽しめますが、ふたり以上だとより楽めるそうです。

息子二人はとてもこの作品が気に入りました。

どんな会話をしていたのかはわかりませんが、芝生に座って二人を眺めている時、なんとも言えない気持ちになりました。

息子たちが成長していく喜びと寂しさが同時に湧き上がってきました。

気がつくと携帯で写真を撮っていました。

写っていたのは何気ない写真でしたが、油絵にすると特別な時間を閉じ込めたような素敵なモノになった気がしました。

この油絵は私たち家族の一員になりました。

家族にとって良い時も辛い時もこの油絵が私たちに寄り添ってくれるはずです。

「やっとだよ、ようやく来週オープンするんだ」

電話で友人の嬉しそうな声を聞いた時、自分もついテンションが上がって

「おめでとう!本当に夢が叶うんだな、いや、すごいな…!」と叫んだのを覚えている。

専門学校のとき、たまたま苗字が同じで席が近かったことがきっかけだった。

初めはただそれだけで。

でもなんとなく一緒に授業を受けて、お昼ご飯を食べて、帰りに寂れたゲーセンに寄ったり、ファミレスでダラダラしたり…

美容師になりたいって自分で選んだ道なのに、授業は死ぬほど嫌いで、二人でふざけては先生に怒られて。

のくせにクラブに遊びに行ってベロベロに酔ったら「絶対に開業して、すげー稼いで、お前よりすごい美容師になるからよ、見とけよ!」って大声で叫びあってた。

お互いに張り合って、学校の成績は見合って、お前だけには負けねえって何だかんだ毎日休まず学校に通い続ける。

そんな10年以上も前の思い出が鮮明に蘇ってくる。

あのときもう少し真面目に勉強してたら、あいつみたいにセンスがあれば、自分だって美容師を続けられていたのだろうか。

学校を卒業して、なんとか就職できた美容室ではアシスタントとして先輩にこき使われ、ひたすら罵倒された。

自分が悪かったってことは分かってる、未熟だったことも分かってた、けどプライドが邪魔をして、なんだ美容師ってつまんねー仕事だな、って拗ねて1年くらいで辞めてしまった。

その夜、一応あいつに報告しないとって思って「俺、辞めちゃったよ、美容室。どうしようもねえよ。明日から近所のスーパーでレジ打ちでもしようかな…」って電話をしたら

「ハハ、まじか、いや、つれーよ、身も心もズタボロ。俺も辞めちゃうかも。」って一言。

でもその後も辞めることなんかなくて、あいつは寝る間も惜しんでカットの練習し続けた。

本当に尊敬する。

その努力がついに店として形になることは、もちろん自分ごとのように嬉しい。

その後、レジ打ちではなくハローワークに紹介してもらった営業の仕事をこなし、なんとなく普通の人生を歩んできた自分。

学生のときからの夢を追いかけ続け、ひたすらストイックに働いて、とうとうその夢を叶える日が近づいてきているあいつ。

別にどっちが良いとか、羨ましいとかはない。

ただ、せっかく友人の夢が叶うのなら全力で祝いたいし、特別なものを用意したい。

あいつにとって、店は特別で、その店はこれからずっと存在し続けるだろうけど…

「初めて開店する日」は1日しかない。

そう考えたら、その日の店の様子をしっかり残しておきたいと思って。

花を渡したいから、と言い訳してオープン直前にお邪魔して、何気なく写真をパシャリ。

それを絵画にして後日改めてお祝いとして、渡しにいった。

「絵なんて渡されたことないからさ、いや、びっくりだよ。すげー嬉しい。うん、大事にする、ありがと。」

そうやって笑う姿を見たら、喜んでもらえるものを渡せて良かったな…って安心して、俺も頑張ろうって気合が入る。

開業おめでとう、これからもお互い励まし合える存在として、よろしくな。

いつ見てもいい写真だなと思える。

そんな彼女に出会った話をさせてください。

出会いは25の夏。

当時働いていた会社で、今日が何曜日か、朝か夜かも分からないくらい働き詰めてた時期がありました。

夜(朝)仕事が終わり、家に帰ったと思えば、映画一本見終わるくらいにはまた出社の時間が来る。

今思えば、何をそんなに働いていたのでしょうか。夢はお金持ちになる事でした。

ストレスを発散できる時間はタバコを吸ってる時の時間くらいでした。

そんなほぼ働き詰めの20代は、当時の景気とは反対に、毎日ギリギリの生活で、食べるものも不規則な時間になり

心と体は常に限界ギリギリでした。

当然、恋人なんかはいるわけもなく18の時に付き合って3ヶ月で散った女の子以来の話。

恋人できない理由を仕事のせいにして、張り切っていたのがいい思い出です。

そんな時今の嫁と出会いました。

場所:居酒屋 関係性:友達の友達

話している中で、彼女の明るく優しい性格や、自分には持っていない、人のために何かをするという考えに惹かれました。

しかし、その当時の自分は、たくさん働いているのがかっこいいとか、意気揚々と話していたんでしょうね。

すぐには付き合えませんでした。

自分にできることは、特に容姿が優れているわけではないので、どんな遅い時間でも会いにいき、話して笑わせました。

出会って1年、必死にアピールしなんとか付き合う事ができました。

もちろん付き合って、上手いことばかりではなく、様々な体験をし、喧嘩もし、何度別れそうになったことでしょうか、、

しかし自分を本気で叱ってくれ、思自分を思ってくれる彼女と出会い、お金を稼ぐために働いていた、自分の考え方が変わりました。

結婚をし、子供も生まれ、今まで自分のために働いていた思いが段々彼女や家族のために働く喜びへと変わっていきました。

それに気づかせてくれたのが彼女です。今でも、特に取り柄がない自分のどこを好きになったかと聞くと、

「あなたは私をいつも笑わせてくれるし、ずっと優しいから」と言ってくれます。

こちらこそたくさん様々な事をくれてありがとう

今では、お互いおじいちゃんとおばあちゃんになり昔みたいにお互い元気ではなくなってしまったけど、仲良く毎日を過ごしています。

そんな彼女との思い出を絵画にして部屋に飾っています。

毎日この絵を見て、出会ったときの気持ちをいつまでも忘れない様に。

私が幼いときから両親は共働きで、夏休みになるとよく母に祖母の家へ連れてかれました。

お泊まりになることも多く、祖母の家で大人しく絵を描いたりパズルで遊んだり、本を読んだり…

元々1人遊びが好きで私自身は毎日楽しく過ごしていたのですが、そんな私を一日中見ていた祖母は退屈そうだと思ったのかもしれません。

生まれて初めての水族館は祖母と2人で。せっかくの夏休みなんだから、と祖母の提案で出かけることになりました。車で外へ連れて行ってもらうこと自体が久しぶりで、少しワクワクしていたことを今でも覚えています。

2人で行った水族館はとても静かでした。魚たちはこちらの視線も気にせず悠然と泳いでいて、私は目の前の水槽に吸い込まれるかのように近づいていきました。

どの水槽も私にとっては初めての世界が広がっていて、顔を近づけては祖母に魚の名前を聞いたり、好きな色の魚を探したり、とにかく楽しみながら水族館内を進みます。

ある程度館内をまわっていくと、満足感と共に疲労を少し感じ始め、「そろそろレストランで昼食を食べようか。」と祖母が尋ねてきたそのとき、

「あ、亀だ!」

私は無意識に走り出していました。さっきまでの疲れも祖母との会話も忘れて、一目散に。

そこにはカラフルな魚たちで彩られたとても大きな水槽、その中を優雅に泳ぐウミガメ。

「うわあ…竜宮城みたい…!」と踵を持ち上げながらじっくり眺めていると、「本当に綺麗だねえ…」と後ろから祖母も近づいてきました。

それから会話もなく、ただ2人でじっとその場に立っているだけ。でもなんだかそれがとても幸せでした。

それ以降、私は何かで悩んだり気が沈んでいたり、1人になりたいと思った時はその水槽を訪れることにしました。

有限の水槽の奥に感じられる無限の海と、自由。学生のときも自分自身が分からなくなったら訪れて、落ち着くまで水槽を前に立ち尽くしていました。

それからだいぶ月日が経ち、仕事の関係で生まれ育ったこの地から離れると決まった日、やはり思い出されるあの水槽。

「あの水槽とももうお別れか…」と思うとなんだか寂しくて、今度は私から祖母を水族館へ誘いました。

今度は電車に揺られて水族館へ。水族館は相変わらず静かで、魚もウミガメもゆったりと泳ぎます。

2人で再び水槽を見上げると、何も変わらないその空間に安心しながらも、もう二度と見れないのかな…なんて、気がつくとそっと水槽の中を撮影していました。

その写真は絵画として今、私の部屋に飾ってあります。

新しい生活が始まる不安から、懐かしい光景が、この絵画がきっと私を守ってくれる。

ウミガメと共に、これからの人生も頑張っていこうと思います。

この絵は引っ越しの日の写真を油絵にしてもらったものです。

この子達はわたしが大学生のときに学校に迷い込んできたので預かることになりました。

子供の頃から野良犬や野良猫を拾ってしまうくせがあり、またやってしまったと少しの後悔がありましたが

この子たちとの生活のおかげで、いろんな方が遊びに来てくれて部屋はいつも賑やか。

人見知りだったわたしにとって、この子達は家族のような存在で、4年間楽しい学生生活がおくれました。

学校のちかくで古い借家にくらしていたおかげで大家さんにもご理解していただきました。

風呂なし汲取式トイレ・・・女子が住むにはなかなかのハードルでしたが、ゆっくりとこの子たちとの時間をすごしました。

楽しかった学校も卒業し就職、そして街中への引っ越し。わたしにとってもこの子達にとっても目まぐるしく環境がかわることになります。

環境になれるまでは大変だったと思いますが、いまとなっては懐かしい思い出です。

若かったあの頃の大切な日常の思い出を形にのこせてよかったです。

ぼくがまだ幼い頃だったからあまり覚えていないけど、父が家にいる記憶がなく、家にいるのは祖母と母と妹、そしてぼく。

女3に男1。。まさに女系の家で育ちました。父は家の設計の仕事をしていて、遅くに帰ってきて朝早くでかけていきます。

家ではいつも疲れて不機嫌。今に唯一あったテレビのチャンネル権も父のものでした。

仕事は小さな設計会社の番頭さんといった立場だったみたいで、夜でも平気で社長から電話がかかってくるとペコペコお辞儀をしながら話をしている事がおおくて、夜に急遽呼び出されることもしばしば。

深夜家に戻ってきたら泥酔状態で祖母や母はあきれて玄関で放置されたまま朝になるという。。

家の設計士なのに自分の人生設計はまったくできないといった人でした。

中学になり人並みに自分も反抗期を迎えた頃はもう父との会話もなくなんとなく話しづらい距離を感じていました。

その後ぼくが大人になるまできちんと話すことはなかったのですが、入学式にもらったの製図用の鉛筆はいまでも大事に持っています。

母から聞いたのですが、父が仕事で使っていた鉛筆と同じものらしくこれ1本でたくさんの家が生まれたと思うと仕事しかしてこなかった父が少し誇らしげに感じます。

いまでは身体を壊し家にこもりがちの父です、仕事のことで喋る機会もふえました。ゆっくりと休んでほしいと思っています。

ぼくは、父のような中小企業とは違い、大きな組織で営業をしています。

営業という職業はものを作ることはしませんが生身の人を相手にするとてもやりがいのある仕事だと父に話しています。

仕事でも趣味でもなにかに夢中になれることが見つかると人生は豊かになれるのではないかと思います。

ひとり息子は今年七五三で男らしい写真を写真館で撮っていただきました。

時代錯誤な格好ですが、この息子をぼくはとても気に入っています。

油絵にすることでより凛々しくぼくの部屋に大切に飾ってあります。

この絵を見るたびに思うことは、ぼくも父も男らしい生き方に憧れて来ました。

親のエゴだとは思いますが、心に1本の芯の通っている自分に正直な人間になってほしい、いっぱい転んで泥まみれでキズだらけになっても、やりたいことを見つけてほしいとおもいます。

なにがあっても父であるぼくが必ず味方になります。

七五三おめでとう、これからの君が最高の人生を送ることを願います。